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「啐啄同時」をする時期がやってきた

今年も「啐啄同時(そったくどうじ)」を期待する時期がやってきました.

啐啄同時とは禅語で,「啐」と「啄」が同時におこること(シンクロ)が大切だという意味だと解釈しています.ここで「啐」は,鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき,殻の中から卵の殻をつついて音をたてることです.「啄」とは,雛の出すつついた音を聞いて,タイミング良く親鳥が外から殻をつついて破ることです.つまり,「啐」と「啄」が同時にあると,殻が破れて雛が産まれるというわけです.でもタイミングがずれて同時に起きないと雛は・・・.

まさに卒修論学生さんが,この時期に取り組んでいる活動が「啐」のようなものです.「啐」がないと,私は「啄」という行為をすることができないので,私はひたすら待っているわけです.この二つが同時に起きると,立派な知的生産物が産まれるわけです.

もちろん「啐」が起きる前に,こちらから殻を割ることもできるかもしれません.でもね,こちらから殻を割ることで産まれる雛(卒修論あるいはそれを書いた人)は,それらしいかもしれないけど弱々しいような気がします.結果として雛はたくましく育っていかないような気がします.

「それらしいものほど,無責任なものはない(松浦弥太郎)」