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桃栗三年柿八年

子供のころ,桶のすしでなく,カウンターで寿司を食べるのが夢であった.働くようになり数回は寿司屋のカウンターで食べることができた.そうこうすると子供が生まれ,回る寿司にいく機会が増えた.一方で北海道などへ行くと,昔ながらの寿司屋にいく.回るも,昔ながらもどちらも美味しく食べている.僕のグルメハードルはそれほど高くないこともあるし,そもそも食事の一番のオカズは会話だからである.

 

さて,「桃栗三年柿八年」(色々なバリエーションがあるようです(下のほうにに紹介)).寿司の修業は「飯炊き三年握り八年」と言われていた.10年の修業である.しかしながら,このところ「3か月の修業で寿司をマスター」という番組を何度か見かけた.中には二カ月修了プログラムもあるようである.色々な議論がある.

同じような体験を我々はすでにしている.字を書くという行為である.一昔前は習字を習いに行き字をきれいにしていた.でもなかなかうまくならなかった.しかし,ワープロの登場で,字をきれいに書くという練習はしなくても,ワープロを使いこなせば年賀状,レポートもきれいに書くことができる.今ではきれいな字の問題ではなくて,文章力やドキュメント力が問われるようになっている.

 

寿司プログラムとワープロに思いをはせながら,新聞を読む.今日の折々のことばは「すぐに役立つことは,すぐに役立たくなる」(橋本武)である.役に立つことを軽視するのではない.役に立つということを考えるときには,そもそも「何のために」かを深く考えること.昨年の4月8日は, 研究をするさいには「愛さないと見えないものというのがあるんじゃないですか」(岩田慶治)である.

 

やっぱり,「なぜその研究をするのか」,「なぜそれを学ぶのか」がますます重要になってきたいる気がする.また「そのテーマや結果を愛しているのか」も大事である.研究とはだれもが方法さえ学べばできる客観的な作業ではないのである.最後の最後は,人間的なところが勝負を決めるような気がする.

 

 

折々のことば #8(2015.4.8)

 「愛さないと見えないものというのがあるんじゃないですか」(岩田慶治

愛情関係の話ではない.研究の話である.はじめて参加した文化人類学者たちの研究会で,このことばに衝撃を受けた.研究とはだれもが方法さえ学べばできる客観的な作業と思っていたからだ.が,岩田さんは,愛のまなざしがあってはじめて見えてくるものがあるという.愛がなければ,見えるはずのものも見逃してしまう.異なる民族のあいだでもきっと同じことが言える.

 

桃栗三年柿八年のバリエーション

  • 桃栗3年柿8年,梅はすいすい13年,柚子は大馬鹿18年,林檎ニコニコ25年,女房の不作は60年,亭主の不作はこれまた一生.
  • 桃栗3年柿8年,柚子は9年でなり下がり,梨のバカめは18年.
  • 桃栗3年柿8年,柚子の大馬鹿18年,銀杏の気違い30年.